ルールの制定には、納得させるための理由が必要だ
守る「べき」理由って?
日本の国技を相撲としたのは、相撲が【国技館】で行われていたからである。よく考えてみると、お笑いのような権威付けである。まぁ、始まりはこのようなものでもいいだろう。外国との交流拡大につれ、国の体裁を整えると必要に迫られて作られた国技だろうから。
おそらく、国技など存在しない国も複数あるであろう。

しかし、土俵の伝統というものも、大阪府知事に女性が就任した時に、新たな問題に直面した。
この問題を考える時、2つの意見があるだろう。一つは、女人禁制の理由を考え、その結果(理不尽な慣習として)これを排除すべきという視点。
もう一つは、理由にかかわらず、もしくは理由を積極的に肯定し、慣習を受け入れるための方策を探ろうという意見。
前者の場合に、女人禁制の習慣の理由を考えることは、避けて通れない。
後者の場合、そこには慣習の理由を考えない人が含まれるが、これは問題を複雑にするだろう。議論を避けることになるからだ。

例えば、人殺しがいけない理由は、「何となく」ではない。
人殺しが認められると仮定して、「だったらお前を殺してみようか」等と言ったら、それは脅迫であり、問題のすり替えになってしまう。
だが、相互の信頼があるから社会が円滑になるし、自分も社会の恩恵で生きられる。
また、人間以外の生物も、死ぬのは容易いが生き返りはしないし、その複雑な系を考えると生の方が死よりも価値が高いと言える。
取り返しがつかないから、生は死よりも貴重なのである。
最悪、その種の法律の存在を理由に挙げてもいいが、とにかく理由は存在するのである。

同様に、土俵に人を上げたくないなら、上げない理由を公式に検討し、無いなら定めればよい。
上げたくないのに、表彰だけしてもらいたいとか、まして賞金だけもらいたい等というのは論外だ。
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by kiyoaki.nemoto | 2005-01-08 07:50 | ニュース
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